藤田伸二引退|いろいろな人のコメント-まとめ
歴代8位のJRA通算1918勝を挙げた藤田伸二(43=栗東・フリー)が6日の札幌競馬騎乗を最後に引退することになった。同日、JRAに「騎手免許取消願」を提出。受理したJRAは7日にも正式に引退を発表する。ダービージョッキーの電撃引退に衝撃が走った。
▼四位(91年同期デビュー)最近、そんな話(引退の可能性)も耳にしていたが、急なことでビックリしている。まだ騎手を続けるものだと思っていた。競馬学校時代からずっと一緒にやってきた。ライバルというよりも仲間。デビューしてグングン勝っていく藤田の背中を追い掛けてきた。セカンドキャリアを考えてもいい年齢で(引退するか、続けるかは)本人が決めることだが、同期は2人だけなので寂しい。
▼武豊(日本騎手クラブ会長)1カ月くらい前に直接、本人から聞いていた。「引退」は自分で決めること。シンジは個性の強いジョッキーで周りからいろいろとあっただろうけど、僕からすると最初から最後までかわいい後輩だった。シンジは立派なジョッキー。
▼吉田隼 デビュー当時から厳しく指導してもらったが、最近は褒めてもらえることもあった。手本となるフェアな競馬だった。真っすぐな性格が格好良かった。プライベートでもお世話になったので寂しいです。
▼松岡 誰にもまねできない秀逸な騎乗技術を持っていた。教わったことを継承していきたいと思う。破天荒な面も含めて好きだった。本当にお世話になりました。
▼秋山 伸二さんみたいに、ちゃんと乗って勝てる騎手が少なくなっている。騎乗については厳しい人だったが、自分にも厳しかった。凄い騎手。いろいろお世話になったので寂しい。
▼田中勝 同じ北海道出身として頑張ってきたという気持ちはある。自分で決めたことだし仕方ない。
▼内田 自分より若いのに、もったいない。まだまだ乗れたと思う。技術は若手のいい手本になっていた。
▼加藤征師(関東で藤田が最多41勝を挙げた調教師)本当に上手な騎手だった。うちの馬でたくさん勝ってくれて感謝している。
電撃引退だ。JRA史上8位、現役5位となる通算1918勝をあげている藤田伸二騎手(43)=栗・フリー=が6日、騎手免許の取消願を提出したことをJRAが明らかにした。JRAから正式に発表されるのは7日以降となるが、6日の札幌7R(イキオイ10着)が最後の騎乗となった。なお、引退セレモニーなどは行わない。
突然の幕引きだったが、藤田騎手は数年前から「引退」を意識させる発言をしていた。ここ数年は騎乗数、勝利数とも減り、モチベーションの低下も著書の中で触れていた。引き際を模索していたようで、6日の最後の騎乗を終えると、免許取消願を提出し、事実上の引退となった。
引退の意思を固めていたことはごく一部の親しい関係者にしか知らされておらず、一報を聞いた騎手や調教師の多くは驚きの表情を見せていた。
藤田騎手はファンに向けて、インターネット上で「騎手人生に終止符を打つことに決めました。沢山のファンの皆様に応援して頂いたことは私の財産でもあり、感謝の気持ちで一杯です」などとメッセージを残した。
1991年にデビューし、39勝で新人賞を獲得。96年、24歳のときにフサイチコンコルドでJRA競馬学校卒業生(1期生は85年卒業)として、初めてダービーを制した。その後は2002年から6年連続で年間100勝をマークするなど第一線で活躍。トランセンドのコンビで、11年ドバイワールドCで2着になったのは記憶に新しい。
フェアプレー賞19回は史上最多で、年間で上位の成績を残し、さらに制裁を一度も受けなかった騎手に与えられる「特別模範騎手賞」に2度(04、10年)輝いた唯一の騎手でもある。一方で、06年には飲食店でのトラブルが元で「3カ月の騎乗停止」処分を受けたこともあった。騎手以外でも才能を発揮し、数々の著作を発表。「騎手の一分」(講談社現代新書)はベストセラーになった。
JRA通算1918勝で、重賞はGI17勝を含む93勝。5日の札幌2Rのジョルジュサンクが最後の勝利だった。北海道の馬産地・新冠出身で、数年前からは家族とともに札幌に移り住んでいた。今後はサークル内には残らないが、何らかの形で競馬と関わっていくもよう。北海道シリーズの最後に個性派ジョッキーが、静かにステッキを置いた。
◆武豊騎手「1カ月くらい前に本人から聞いていました。引退は本人が決めることですからね。長い間、一緒に乗っていたし、寂しいですね。いろいろ個性が強いジョッキーだったけど、本当に最後までかわいい後輩でした。ここ数年、悩んでいる感じで、つらいこともあったと思うけど、ジョッキーとして立派な実績を残せたし、第二の人生をしっかり歩んでほしい。彼にやられたダービー(1996年ダンスインザダーク2着)と有馬記念(97年マーベラスサンデー2着)が思い出に残っています」
◆四位洋文騎手「まだまだやると思っていたし、周りから(引退すると)聞いてビックリしている。競馬学校7期生が一人になるのは寂しいね。でも年齢的にもセカンドキャリアを考える時期だし、本人が決めたことだから。デビューして藤田君がグングン勝っていっていく中、僕はその背中を追いかけようと決めて頑張っていた。競馬学校の3年間、そして騎手生活は今年で25年目。ライバルというよりも仲間だった」
■藤田 伸二(ふじた・しんじ)
1972(昭和47)年2月27日生まれ、43歳。北海道出身。栗東・フリー。91年3月2日に栗東・境直行厩舎からデビュー。同年3月9日の中京1Rマキバスクリーンで初勝利(6戦目)を挙げた。2004年に史上3人目となる特別模範騎手賞を受賞、10年に史上初となる2度目の受賞。フェアプレー賞受賞は歴代最多の19回。JRA全10場重賞制覇も達成。JRA通算1万5271戦1918勝で、重賞はGI17勝を含む93勝。身長1メートル58、体重50キロ、血液型O。